不安を否定される不安
トルーパー501です。
今回は不安を否定されることについて。
筆者は、昔悩みを人に打ち明けたところ、
「必死に毎日仕事したり勉強したり、やるべきことをきちんとやっていれば、そんな考えにはならない。お前ちゃんとやってないだろ。」
と言われたことがあります。
これは正しいのでしょうか。
確かに、必死に何かをしていれば考えることを忘れます。
目の前のことしか目に入らなくなりますから。
しかし、それをしていれば悩みは生まれて来ないのでしょうか。
もし、それが正しいなら、悩みを無くしたければ、常に必死で何かをしなければならないことになります。
人間そんなこと不可能です。どこかに休憩がないと、必死に打ち込む気力はなくなってしまいます。
つまり、「必死に何かに打ち込んでいる間は、悩みが生まれない」というのが正しい言い方です。
よって、悩みがある人は必死にやっていないのではなく、休憩中に悩みが生まれてしまったということになります。普通のことです。
ではここで、新たな考えが生まれてきます。休憩中に悩みが生まれてしまうなら、考えなければいいじゃないか。休憩中はなにもせず、ボーッと過ごせ。
これは非常に危険です。なぜなら、悩むというのは考えたから悩むのであり、考えるのは、今やっていることに何かしらの不安があるからです。
例えば、自分が今やっている仕事は将来性があるのか。この勉強は将来役にたつのか。この練習は結果に繋がるのだろうか。そんな不安を持っているからです。
この、不安を持つことはいいことです。
自分のが正しいのかきちんと考え、将来を想像するのは普通です。
自分の人生について考えているのですから、全く無駄ではないです。むしろ有益とも言えます。
それでも、そんなこと考えるな、ただ目の前にあることに必死に打ち込め、という人がいます。
こんな人は、立場が上の人が多いです。上司、先生、親など。
なぜ言うかというと、考えられると都合が悪いからです。
仕事の将来性を考えられて、将来性がないと判断されたら社員が辞めてしまいます。その考えが周りにも広がったら大変です。
勉強が役に立たないと判断されたら、生徒や子供が勉強しなくなります。教える意味がなくなってしまいます。大変です。
つまり、あなたを都合よく利用したいのです。
もし、悩みがあるなら、それは人生について考えた証拠です。考えた結果の悩みなら、それは間違いなくあなたが導きだした、あなただけの考えです。もし、それで物事の価値を疑うなら、やめてもいいです。その責任を取るのは、あなたですから。