日本でサイボーグ化は普及するか
トルーパー501です。
今回はサイボーグ化が日本で普及するかについて。
ここで言うサイボーグ化は、電脳化も含んでいます。
まず、これらは、別の記事でも書きましたが、他人の経験を共有できます。
そして、効率と引き換えに個性を失います。
このような方法が、日本で受け入れられるでしょうか。
まず、日本というのは、仕事が非効率的とよく言われます。
残業してる人が評価されたり、時間をかけたり、わざと困難な状況を作り出してそれを解決するのが良いこととされるなど、苦労すればよいという考えが支配しています。
このような、非効率的なやり方に対する不満はTwitterなどで、よく目にします。
そして、これらは、今、見直されようとしています。働き方改革が良い例です。
不満を感じている人が多いので、そこにつけこんでサイボーグを提供する側が宣伝し、効率的な仕事をするようになれば、サイボーグ化は進むでしょう。仕事の面では。
一方、生活面ではどうでしょう。個性が出やすい私生活。そこでも、サイボーグ化は進むでしょうか。
それは、サイボーグ化のアピールの仕方によると思います。
まず、日本人は、他人に迷惑を掛けることを非常に気にします。お互い様、という考えが余りできません。
そこで、もし、電脳が、他人に迷惑を掛けない生活の仕方を提供するとどうなるでしょう。
どこかの誰かがやっている、周りに気を使いまくる生活。それをダウンロードして、誰も迷惑でなくなる生活。いいかもしれません。
しかし、それは本人のストレスを多くするでしょう。周りに気を使いすぎて、自分が疲れる。問題ですね。
では、根底から、日本人の考えを変えてしまうデータがあればどうでしょう。
他人に迷惑を掛けてもいい。皆ストレスのない、自分優先の生活。
世界を探せばあります。なにせ、日本は異様ですから。日本よりストレスの少ない生活なんていくらでもあります。
サイボーグを提供する側が、そのような、ストレスフリーの生活ができるとアピールすれば、サイボーグ化は進むでしょう。
このように、日本では、サイボーグ化は普及しやすいと考えられます。
しかし、それは、個性を無くすということです。誰もが同じ。仕事も私生活も。皆同じ。日本人が大好きな皆一緒って奴です。
日本人には、サイボーグ化が向いているのかもしれません。
電脳化の不安
トルーパー501です。
今回は電脳化について。
電脳化とは、脳を電子世界にアップロードし、その機能の一部や全部を機械に任せることです。
サイボーグ化の記事でも書きましたが、人類をサイボーグにするという考えは割りと現実味を帯びています。それに関する本も沢山出ているので、興味があれば、読んでみてください。
さて、その電脳化ですが、ある大きな問題を持っています。
それは、個性を失うということです。
原因は、電脳化すると、皆の経験をネットワーク上にデータとして残し、ダウンロードするようになるからです。イメージとしては、クラウドが近いでしょう。
そこでは、最も効率のよい方法が優先的にダウンロードされたり、皆の経験から、最も効率的な方法を産み出したりします。
そして、そこで得られた方法を用いて生産を行うことで生産性を高め、より大きな利益を産み出します。
例えば、何かゲームを作るとしましょう。電脳ではない時、ゲームを作ったことがない人は、試行錯誤しながら、自分の方法でゲームを作るでしょう。
一方、電脳化していると、既にデータとして残っている、最も効率的なプログラマのプログラミングを自分の脳にダウンロードし、同じ方法でゲームを作り出します。
そうすれば、試行錯誤していた時間をゲーム製作に当てられるので、沢山作れますし、効率的なので、ゲームのデータ量も抑えられます。
このように、電脳化は非常に便利なのです。
しかし、先述のように個性はないです。その人の独特の作り方というものは失われてしまいます。また、自分で組み方を考える、ということもしなくなります。
すると、その人の個性は失われてしまいます。代わりに効率を得ます。
このようなことが様々な分野で起こります。料理、工作、記述など。
その人特有の技術はなくなってしまいます。
最終的には、すべての人が同じことをするようになるでしょう。
それが人間と呼べるでしょうか。
もし、個性を守りたいなら、電脳化しても、ダウンロードしなければよいのです。
その代わり、困難にぶち当たり、効率は悪くなります。利益も少ないでしょうし、ダウンロードした人に先を越される可能性もあります。
個性と効率という2つに1つを迫られる。それがサイボーグです。
私は、仕事の時だけはダウンロードして、日常生活では個性を残すのが、一番いいと思います。
死ねば楽になれるのか
トルーパー501です。
今回は、死んだら楽か、という点。
これまで、散々社会がよくならない。悪化する一方であると書いてきました。
では、死ねば楽なのか。
死んで、何も感じなくなれば、楽になれるのか。
確かに、死ねば何も感じません。お金も要りませんし、仕事もしなくていいです。学校もありません。人と関わることもないです。病気も怪我もなくなります。ずっと何もない。無です。
しかし、同時に、楽しみもありません。本の少しの買い物も、誰かと楽しく話す時間もないです。何かを達成することも、困難に打ち勝つこともありません。趣味を楽しんだり、幸せを噛み締めることもありません。
死ぬことは、楽ではなく、無になることです。
生きる希望のない不安
トルーパー501です。
今回は、生きる希望について。
これまで、仕事がなくなること、収入がなくなること、小さな幸せすらつかめないこと、社会保障も期待できないことなどを書いてきました。
では、私達はこれから、何を目標に生きていけばよいのでしょう。
サイボーグ化して有能にでもならないかぎり、何も得られなくなる社会に、何を期待して生きていけばよいのでしょう。
何もないと思います。希望目標もない。一度貧困に陥れば、二度と這い上がれない社会。そんな所で生きていくことになります。
今以上の格差社会。負け組は一生負け組。誰も、なんの手助けもしてくれない。
皆自分が価値残るのに必死で、他人などどうでもよい。そんな世界。
死んだ方がましかもしれません。
会社が壊れる不安
トルーパー501です。
今回は、会社について。
日本の会社は、残業をしても給料がきちんと支払われない事がよく問題にされます。
それが原因で過労になり、自殺する人もいます。
そのため、国は働き方改革を行っていますが、なかなか解決されていないのが現状です。
では、もしそれが解決され、きちんと給料が支払われたらどうなるでしょう。
働いた分だけ支払われるのです。
恐らく、企業は今より減るでしょう。
なぜなら、人件費が掛かりすぎるからです。
そもそも、サービス残業や休日出勤が増えたのは、企業の業績が悪化し、利益をあげられなくなったからです。
利益を上げるために、最も大きな費用である、人件費を削ったのです。
つまり、その費用を復活させるということです。
企業の利益は減少し、倒産する所もあるでしょう。再就職が困難な日本で、倒産によって失業するとどうなるかは明らかです。
そう考えると、今のままの方がいいように思えます。
しかし、これは許されるべきことではありません。
労働に対してきちんと給料を支払わないなら、企業としての役割を果たせていないことになります。
そんな所で働こうと思いますか。
日本は、労働力不足と言われますが、その貴重な労働力を普通に扱わないのです。
そんな国です。
日本は国としての役割を果たしているか
トルーパー501です。
今回は、日本という国について。
そもそも、国とは、国民を守り、生活を保証し、人権を保証し、人としての人生を送らせるためにあります。
日本とは、国として見たときにどうですか。
国として、国民を守っていますか、十分なサービスを提供していますか、権利を保証してくれてますか。
思いません。国としての役割を果たしていません。
国民を守っていませんし、サービスも不十分ですし、人権を守りません。
一つ一つ具体例を出します、
ひとつ目。国民を守らない。
ここで言う守るとは、国民が他国からの脅威にさらされたとき、それに対抗するかということです。
例えば、あなたが海外旅行に行って、突然拉致されたとき、日本はあなたを取り返しません。
憲法や法律によって、他国へ攻撃目的で自衛隊を派遣するのは禁じられていますので、無理です。
あなたを救出するには、拉致加害者の所へ攻め入らなければならないので、無理です。諦めてください。助けは来ません。
ここで、攻めずに話し合えばよいのではないか、という意見もあるでしょう。それは、相手が応じなければ何の意味もないので、無意味です。何の助けにもなりません。
また、安保法が可決されたのだからできる、という方もいるでしょう。安保法は、海外派遣を有効にしましたが、そこには様々な条件があり、攻撃目的では派遣できないので無理です。詳しくは、安保法についての本等を読んでみてください。
このように、国民を守れません。
二つ目。サービスは十分か。
不十分です。
生活保護や年金は切り捨てられていますし、給付されても極僅かだったり、理由をつけてストップさせられたりします。
金額が少ないと、最低限の生活もできないので、不十分と言えます。
三つ目。人権を守っているか。
守ってないです。
サービス残業や休日出勤の現状を知っていながら、なかなか解決できていません。
奨学金も給付型が導入されようとしていますが、数も金額もまだまだ不十分です。
人間的生活も学習の機会も平等ではありません。人権を守られていない人は大勢います。
このように、日本は決して、国としての役割を果たしているとは言えません。
これらは、あくまで今の事なので、将来的に解決されていく可能性もあります。
しかし、税収も人口も減り、人工知能にあらゆるものを委ねるようになる将来に、その可能性があるとは思えません。
公務員になる不安
トルーパー501です。
今回は公務員になることについて。
前回、会社員になる不安を書きましたので、今回は公務員です。
人工知能によって、会社員になる不安が増大するのなら、公務員になればよいのではないか。
公務員なら、一度採用されればクビはほとんどありませんし、給料も安定しています。確かに、会社員よりリスクは低いです。
しかし、問題もあります。
まず、人工知能は公共機関にも導入される恐れがある点。
人工知能は、ある特定の作業に特化させれば、人間を越えることは容易です。現に、将棋や囲碁で人間を打ち倒しています。
では、その作業を、公共機関で行うような、税金の計算や各種書類の作成に設定すればどうなるでしょう。
計算なら、コンピューターである人工知能の圧勝。書類なら、書式さえ覚えさせれば、後は個人の名前や住所に合わせて自動入力にできます。データが正しく紐付けされていれば、間違いは少ないでしょう。
このように、人間が行うより、遥かに便利です。
しかし、公共機関の仕事というのは、非常に重要です。税金や市民のデータを扱っているのですから、漏洩すれば大変です。そんなところに容易に人工知能を導入するとは考えづらい。もっと、人工知能が普及し、その確実性が保証されてから導入するでしょう。
また、公共機関には、余り最新のテクノロジーが導入されないこともあります。現に、古いコンピューターをいまだに使っている公共機関は多いです。
そのため、最新の人工知能を民間に先だって導入するとは考えづらいです。
さらに、公務員をクビにしないために敢えて導入しないという可能性もあります。
公務員は、よほどの事がない限りクビにはなりません。そこに惹かれて公務員を目指す人もいます。そんな公務員に、人工知能を導入するからクビ、と言うとは思えません。
もし、導入するならば、導入後の公務員の募集枠を減らすなどが、現実的な考えでしょう。
このように、公務員は、会社員と比べれば、人工知能に仕事を奪われるリスクは低いです。
しかし、人工知能以外の要因も、公務員になるリスクを引き起こしています。
それは、税収の減少です。
労働力人口が減少することに加え、仕事がなくなり、消費人口も減るのですから、税収は益々減るでしょう。
すると、公務員の給料が減らされる可能性もあります。さらに、公務員の給料は上がりづらいので、長年安い給料で生活するはめになるかもしれません。
しかし、人工知能の導入で安い商品を売り、莫大な利益を上げる企業が日本に増えれば、税収が上がる見込みもあります。これから経済の衰退していく日本で、そんな余裕のある企業がいくつ生まれるかは分かりませんが。
そうなれば、公務員の給料は上がるかもしれません。
ここで、気をつけて欲しいのは、日本企業という点です。海外に本社を持つ外国企業が日本企業を買収してしまえば、その利益は本社に送られるので、税収は余り増えません。
今の日本企業の動きを見ると、買収される可能性が非常に高いですが。
このように、公務員になるのは、日本の税収がどうなるかという点に左右されるので、余り安定しているとは言えません。
また、先述のように、募集枠が狭まる可能性もあるので、今以上の倍率になり、競争が激化する可能性もあります。
よって、公務員になるリスクは、なかなか高いです。会社員になるよりは低いかもしれませんが。