電脳化の不安
トルーパー501です。
今回は電脳化について。
電脳化とは、脳を電子世界にアップロードし、その機能の一部や全部を機械に任せることです。
サイボーグ化の記事でも書きましたが、人類をサイボーグにするという考えは割りと現実味を帯びています。それに関する本も沢山出ているので、興味があれば、読んでみてください。
さて、その電脳化ですが、ある大きな問題を持っています。
それは、個性を失うということです。
原因は、電脳化すると、皆の経験をネットワーク上にデータとして残し、ダウンロードするようになるからです。イメージとしては、クラウドが近いでしょう。
そこでは、最も効率のよい方法が優先的にダウンロードされたり、皆の経験から、最も効率的な方法を産み出したりします。
そして、そこで得られた方法を用いて生産を行うことで生産性を高め、より大きな利益を産み出します。
例えば、何かゲームを作るとしましょう。電脳ではない時、ゲームを作ったことがない人は、試行錯誤しながら、自分の方法でゲームを作るでしょう。
一方、電脳化していると、既にデータとして残っている、最も効率的なプログラマのプログラミングを自分の脳にダウンロードし、同じ方法でゲームを作り出します。
そうすれば、試行錯誤していた時間をゲーム製作に当てられるので、沢山作れますし、効率的なので、ゲームのデータ量も抑えられます。
このように、電脳化は非常に便利なのです。
しかし、先述のように個性はないです。その人の独特の作り方というものは失われてしまいます。また、自分で組み方を考える、ということもしなくなります。
すると、その人の個性は失われてしまいます。代わりに効率を得ます。
このようなことが様々な分野で起こります。料理、工作、記述など。
その人特有の技術はなくなってしまいます。
最終的には、すべての人が同じことをするようになるでしょう。
それが人間と呼べるでしょうか。
もし、個性を守りたいなら、電脳化しても、ダウンロードしなければよいのです。
その代わり、困難にぶち当たり、効率は悪くなります。利益も少ないでしょうし、ダウンロードした人に先を越される可能性もあります。
個性と効率という2つに1つを迫られる。それがサイボーグです。
私は、仕事の時だけはダウンロードして、日常生活では個性を残すのが、一番いいと思います。