将来が不安すぎて吐きそうな気持ちを嘔吐

人工知能 自殺 鬱病 仕事 奨学金 あなたの回りにも不安が一杯

人工知能に奪われない仕事の不安

トルーパー501です。
今回は、人工知能に奪われない仕事について。

人工知能に仕事が奪われることについては、何度も書いています。
専門家ではないので、絶対にこうなるとは言えませんが、本やニュース、記事、色んなひとの話を見ていると、こうなる可能性は大きいです。

そして、そういうものを見ていると、反対の話もよく目にします。人工知能に仕事が奪われても大丈夫、という話です。本当にそうでしょうか。
このての話は、大きく二つに分かれます。一つは、人工知能が仕事するから人間は仕事しなくなって、政府からの給付金(ベーシックインカム)で生活できるようになる。だから人間は、仕事を捨てて、趣味にいきるような、昔の文化的生活を取り戻すよ。という話。
もう一つは、人工知能が行うのは、単純な仕事だけ。だから人間は、もっと複雑な仕事するようになって、ちゃんとお金を稼げるから安心しよう。という話。

今回は、後者を扱います。
後者の、複雑な仕事、とはなんでしょう。簡単に言うと、創造的(クリエイティブ)な仕事と、人間がやらないといけない仕事です。
具体的にいうと、創造的な仕事は、企画立案、作曲家、ゲーム開発者など。人間がやらないといけない仕事とは、カウンセラー、医者、聖職(お坊さん、神主さん、牧師さんなど)などです。

では、創造的な仕事について。人工知能は、今の段階では、一から自分でなにかを作り出すことは苦手です。でも、過去の膨大な小説や絵画から、世間に広く受け入れられたものの特徴を抜き出して、それをもとに小説や絵画を作ることは可能です。検索すると見れると思うので、見てみてください。
一方、人間は、過去の膨大なデータがなくても、自分で小説や絵画を作ることはできます。それが世間に受け入れられて、仕事になるかは分かりませんが。でも、受け入れられたら、小説家や画家という仕事につけます。

次に、人間がやらないといけない仕事。これは、人工知能という機械が行っても意味をなさない。もしくは、してほしくないと多くの人が思う仕事です。一つ目は、カウンセラー。相手の悩みを聞き、その解決や、精神の負担を減らす仕事です。もし、これが、機械だったらどうでしょう。悩みを聞いて、膨大なデータから、似たような悩みを見つけ出して解決案を出す。もし、データがなければ、精神の負担を減らす方法を教える。なんだか無機質な感じがします。カウンセラーにいく人は、誰かに話を聞いてほしい、真剣に一緒に考えてくれる人を求めて行く、という目的もあると思います。鬱病の記事でかいた友人は、身近に相談できる人がいないのでカウンセラーに行くといっていました。つまり、カウンセラーが一人の人間だから成立している仕事なのです。

次に聖職。日本では、お葬式や 法事のときによくお世話になります。そのときに、お坊さんではなく、人工知能という機械が来たらどうでしょう。お経やその他のことすべてを機械が行う。なんだか嫌です。お葬式や法事というのは、お坊さんという、修行を積んだ、お経などの意味を深く分かっている人間に行ってもらうからこそ意味があり、ありがたいのです。機械では、意味がありません。

さて、ここまで読むと、じゃあ人間の仕事は無くならないのか、と思えたでしょうか。

思いません。なぜなら、これらができる人間は限られているからです。
あなたに、新しい価値を産み出す創造性がありますか。これまでにない画期的な発想ができますか。そういうものは、持っている人が少なく、価値があるから仕事になるのです。皆が創造的で画期的だったら、それは全く価値のないものとなります。そのため、創造的な仕事は残るから大丈夫、という考えはおかしいのです。捨てましょう。

そして、カウンセラーや聖職はもっと厳しいです。先述の通り、カウンセラーは人の悩みを聞く仕事です。それも、ただの悩みではありません。その人の人生や生命に大きく関わる悩みもあります。あなたはそれを聞いて、受け止めて、真剣に向き合わなくてはなりません。その人の立場で考えなくてはなりません。自分の悩みでもないのに。そんな悩みぐらい自分でどうにかしてよ。そう思っても、口にしてはいけません。そのような非常に高いコミュニケーション能力が必要なのです。あなたにそれがありますか。あなたにそれができますか。自分の悩みすら解決していないのに、見ず知らずの赤の他人の悩みを、真剣に聞けますか。投げ出さずにいられますか。できる人は少ないでしょう。
また、聖職者も厳しいです。聖職者になるには修行を積んで、勉強も沢山しなくてはなりません。それも、高校まででは、どの教科でも教えてくれないような内容です。お経の意味や、書き方など、一から全て覚えるのです。修行はもっと大変です。お坊さんなら、山にこもったり、滝に打たれたり、座禅を組んだり、断食をしたり。これまでの人生で味わったことのない苦痛を味わいます。そして、聖職者になったからといってそれが終わるわけではありません。お布施なんかも集めないといけません。あなたに、これらに耐えられる根性がありますか。能力がありますか。あると言える人は少ないでしょう。

多くの人は、創造性も、高いコミュニケーション能力も、強靭な根性もありません。だから、会社員や公務員といった、いわゆる普通の仕事につくのです。悪いことではありません。自分にあった仕事を選んでいるのですから、むしろ良いことです。

しかし、人工知能によって、それができなくなるのです。普通の仕事は人工知能がやります。人間は、複雑な仕事をします。上記の能力のない多くの人が、突然その仕事をやれと言われるのです。できるはずがありません。当然、路頭に迷います。仕事がありません。収入がありません。住むところがありません。生きる希望がありません。そういう人が沢山出てくるでしょう。すると当然、自殺も増えるでしょう。そんな時代に、着々と進んでいるのです。